
なかなか完成まで程遠いですが、深沢雅文氏のレース記録を作成中。
ジムカーナ時代のリザルトはほとんど見つけることが出来てないが、全日本にも出場。
このころはミスターアドバンの山本真宏選手とともに争い、
そして長野の峠を一緒に走っていたという土屋圭一さん。

「昔AE86やっているころは、俺は土屋より速かった」が口癖。
まわりがどんどんと有名になっていく中取り残された、というけれど、
それはともあれ今だ現役で乗っているのだからたいしたものです。
プレレースより2003年までトヨタのワンメイクレース アルテッツァレースに参戦したが、
トヨタのワンメイクレースには1993年に参戦して以来、現在に至るまで、実に10年間以上連続して参戦しつづけている。
カローラ時代には、「ミスターカローラ」なんて言ってくれた人もいるけど、これほどトヨタのレースを長く続けている人は他にいないかもしれません。
上位入賞は何度もあったけれども、シリーズチャンピオンになったのは1995年C/SNCシリーズが実に初めて。翌年には富士フレッシュマンレースで、開幕5連勝を成し遂げ、シリーズチャンピオンにもなったが、
「大人げないよ」と言う声もちらほら。
1998年、C/SNCで順調にポイントを重ねていたが、
8月、練習走行中の事故により
ご存知の通り右眼の神経が切れ、2週間も入院する大怪我を負った。
その年の残り3戦は、不出場ながら、シリーズ3位となった。
この怪我さえなければ、、、
翌年、周りの後押しにより、廃車寸前のレーシングカーを何とか直し、
リハビリがてらレースに復帰する。
その復帰戦 筑波で、予選3位になってしまったから、大変。
「なんだ、できるじゃん」ってことになり、そのままハンデを負いながらも、現在までレースを続ける羽目に。
どうやって運転するのかと言うと、焦点が合わないため、右眼をつぶり左眼のみで運転するのです。
(*良い子の皆さんは決して真似しないでください)
ヘルメットの下にするヘアバンドは、汗が眼に入るとたちまち見えなくなってしまうので、そのためのものです。
眼のハンデにより、遠近感がつかめず、どうしてもコーナーが納得いくような走りが出来ません。
そして2003年はヴィッツレースにも本格的に参戦。
ドライバーの持ち回り制だったのだが、思いのほかヴィッツにはまった。
初戦は、フライングなんてことではじまったヴィッツ。
段々乗りこなせるようになって楽しくなり、筑波だけの予定がもてぎでも乗ることに。
そして最終戦。
意気込んでいた予選は15位。申し訳ないくらいにちょうどよい雨。
面白いように次から次へとジャンプアップ。
そして事故以来初めて、
実に5年ぶりとなる表彰台に登ることが出来た。
ここから、ヴィッツとの長いおつきあいが始まりました。
2004年度2005年度と東北シリーズを中心に参戦。
そして旧型SCPでのレースが終了した翌年から始まった新型ヴィッツも初年度は小森くんの「丸山クリニックEDヴィッツ」をレンタルさせて頂き、東北シリーズに参戦。
2007年は車両を購入し、「WEDSカラー」でヴィッツレース東北シリーズに参戦。
初めての「富士F1特別戦」にも選出され、この車両で富士を走行するのは初めてだったが
恵み?の雨で、予選3位・決勝5位と楽しませてくれました。
最後のトヨタフェスティバルでは予選順位も悪く、決勝は2度接触され、踏んだり蹴ったりでした。
2008年もネッツカップ東北シリーズに参戦。
第2戦ハイランドでは、何年越し??に初優勝を体験。
非常に感慨深いものでした。
一方で、「箱のレースの入門カテゴリー」と言われる「富士チャンピオンレース」にも
SCP10ヴィッツをN1仕様にリメイクし、N1000カテゴリーができた当初からチームで参戦を続けています。
レースカーの製作を楽しみ、純粋にレースを楽しめる、ネッツカップとはまた違った楽しみがあります。
まわりは、息子の様な年代の人たちがどんどん台頭してくる中
「おじさん」呼ばわりされる今日この頃ですが、まだまだ出来る限りはがんばりたいと思います。
「若いものにはまだまだ負けてらんないよ」
『細く長く』生涯現役を目指し今年も走ります。(2008.7UP)
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